2007年 11月 25日
コンタクト |
いとも簡単にコンタクト作成出来ず。今までソフトだったのに、ハードにチャレンジしてみようと思い立って格闘する事1時間半。結局まばたきの回数は減る事はなく、目のカーブのせいだー!と泣きながらソフトレンズに文字どおり収まりました。なら最初からソフトで作っておけば良かった。
ハードなKONTAKTEと言えば、かのカールハインツ・シュトックハウゼン師の大傑作であり電子音楽史上エポックに刻まれる曲であります。先だってピエール・シェフェールがミュージックコンクレートをやってのけた事からもその後の時代に通ずる革新的な流れと勢いというものをひしひしと感じます。
日本ですら最も狂っていた時代と言われている60年代。ネオダダやらその後フルクサスにも繋がる刀根康尚や塩見允枝子、タージ・マハル旅行団の小杉武久が所属していたグループ音楽、秋山邦晴、高橋悠治、一柳慧という蒼々たるメンバーのニューディレクション、中村八大、筒美京平、藤本卓也という涎がでるほどの作曲家達が軒を連ねていたこの時代。もし自分がこの時代の人間だったなら。と考えるとウズウズしたたまりません。日本においても芸術という事象が前衛を援用していた風景が目にしみます。
天才やヒーローはこういった状況で生まれるのですね。
そんなハードな視線の接触と目のやりどころは一筋縄ではいかないもんです。
ハードなKONTAKTEと言えば、かのカールハインツ・シュトックハウゼン師の大傑作であり電子音楽史上エポックに刻まれる曲であります。先だってピエール・シェフェールがミュージックコンクレートをやってのけた事からもその後の時代に通ずる革新的な流れと勢いというものをひしひしと感じます。
日本ですら最も狂っていた時代と言われている60年代。ネオダダやらその後フルクサスにも繋がる刀根康尚や塩見允枝子、タージ・マハル旅行団の小杉武久が所属していたグループ音楽、秋山邦晴、高橋悠治、一柳慧という蒼々たるメンバーのニューディレクション、中村八大、筒美京平、藤本卓也という涎がでるほどの作曲家達が軒を連ねていたこの時代。もし自分がこの時代の人間だったなら。と考えるとウズウズしたたまりません。日本においても芸術という事象が前衛を援用していた風景が目にしみます。
天才やヒーローはこういった状況で生まれるのですね。
そんなハードな視線の接触と目のやりどころは一筋縄ではいかないもんです。
by agagagagagagagaga
| 2007-11-25 23:02
| Music